学術研究とソーシャルサービスの先行事例


先日の記事のkatz3氏の返球がどっちも厳しすぎてうなっていた昨今。
いやどうも,コメントも返せずすみません。


Natureの記事は確か見ていたと思ったんだけれど,不思議と気づかなかったらしい。指摘されてみるとなるほど,大いに関係がある試行だわ。

ITmedia News:[WSJ] Nature誌、Wikipedia的試みを断念

Nature誌は、Wikipediaのような集団による編集方式を科学出版の世界に持ち込む実験を断念する。

 2006年夏から数カ月の間、Natureは同誌に掲載される論文の最終選考に残った科学者に、まずオンラインに論文を投稿して、公開レビューを受けるよう勧めた。通常は、少数の科学者が匿名でレビューを行う。

 Natureの実験は、多くの読者が協力して執筆・編集するオンライン百科事典Wikipediaを思い起こさせる。同誌の取り組みは、よりオープンなレビュープロセスによって、品質の低い、あるいは不正な論文があまりに頻繁に掲載されていると現行システム批判派が指摘する問題を暴き出せるかどうかを見極めることを目的の1つとしていた。

 だがMacmillan Publishersの一部門から発行されている同誌は12月21日付の号の論説で、参加者が少なかったためにこの実験を終了すると述べている。競争の激しい科学出版の世界では、著者の大多数が論文を投稿することに消極的であり、NatureのWebサイトにコメントを投稿して、公の場でほかの研究者の論文を批評したがる科学者はほとんどいないことに同誌は気付いた。

http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0612/21/news027.html

元記事はこれか。
http://www.nature.com/nature/peerreview/debate/nature05535.html


要するに,

  • 選考対象の論文を一般の人にも見てコメントつけてもらうことにしたよ
  • 対象期間に1,369の論文が選考対象に残ったよ
  • そのうち71論文(5%)の著者は快く公開に同意してくれたよ
  • そのうちコメントがついたのは38論文(53%)で,33論文(46%)はまるでコメントがつかなかったよ
  • テクニカルなコメントは92件あって,うち49件が8つの論文(11%)についてたよ。ほかは2,3件しかつかなかったよ。一番コメントの多かった論文は10件のコメントがついたよ

って感じだったらしい。元記事のグラフをみると,分野毎の偏りもけっこうあった様子。
コメントを受けた著者にはわりと好感触な人が多いので,多分内容自体は悪くなかったんだろうな。コメントについての評価も上がっているけれど,依頼した査読者と同レベルのクオリティのコメントは4つしかなく,それ以上は0とのこと。ただしソーシャルなサービスは量が質を呼ぶから,母数が92しかないのなら4という数は決して少なくないと思う。
問題があるのはやっぱり量でしょうね。新しい試みだから同意した論文が少ないことはいいとしても,コメント数はやっぱり少ない。トラフィック自体はかなり増えたという話なので関心はあったが,コメントを書くまでの人はいなかったと。

これは,ITmediaにも書いてあるけれど,やはりインセンティブの問題かもしれない。仕事でもないのにわざわざ論文を批評する物好きな科学者は少ないと。特に内容のあるコメントをするためには,その分野の専門知識をもった上で詳細な検討を行う必要があるのだから,各人の払うコストは小さくない。むしろこの形態でも92もの技術的なコメントがあったことが驚きかもしれない。
このへんで思い返されるのが,ソーシャルブックマークの二面性。ソーシャルブックマークはてブのホットエントリのように外部の人の利用にとっても有益な価値をもつが,個々のブックマーク自体は各IDの私益のためにつけられている。自分もはてブを使うのは,有益な記事をWeb上に記録しておくこと(および,そのとき思った簡単な感想を残しておくこと)の方にあって,情報収集などでの利用は二次的なものに過ぎない。あくまで個人が自分のために行う作業が公益を生むという逆説は,ソーシャルブックマークの大きな成功要因であるように思える。

ひるがえってNatureの論文にコメントをつけることについて考えてみれば,その研究者にとっては,つける行為自体が面白い,という以上の価値はない。これは内容のあるコメントをつけるためのコストを考慮すれば,十分な報酬とはいえないだろう。
コメントが匿名ではできない,というのは一つの要素ではあるが,上記の要素に比べれば大きなものではないような気がする。ただ,実名でなければいけない,という制限はコメントを控えさせた理由の一つではあろうから,匿名でのモデルも考えるべきかもしれない。


とすれば,ソーシャルな手法での論文評価をおこなう場合は,はてブのように,その査読に参加すること自体にインセンティブが発生するような形式が好ましい。理想をいえば匿名を許容したいが,せめてはてなID並の変名とはいかないものか。その上で学術研究を評価できるような形態となると,やはり難しいかな。


で,次にLionShare

LionShare is a secure P2P file sharing application for higher education, enabling legal file sharing for Penn State university and beyond.. Find and share legal academic content in a secure P2P environment. LionShare 1.1 is available for download now.


過去の紹介記事としてはこのへん

 ペンシルベニア州立大学などの米大学の研究者らが、サイズの大きな学術ファイルの共有や検索を容易にするためのツールを開発した。このツールには、音楽や映画の違法取引との関連が強い技術が用いられている。

 だが、エンターテインメント業界による苦情や訴訟を引き起こしている無料のピアツーピア(P2P)ファイル交換システムとは異なり、このLionShareツールを介してデータ交換を許可する人物は、個々のファイルを誰が閲覧できるかについて、制限を課すことができる。

 このプロジェクトを始めたペンシルベニア州立大学のLionShare担当ディレクター、マイク・ハルム氏は次のように語っている。「すべては、人々がどのようにコンテンツを共有し、共有するコンテンツにどのような制限を課すかにかかっている」

 このセキュアなプライベートネットワークは、写真、研究資料、授業の資料など、現行の技術では簡単にアクセスできない各種の情報を、教職員や研究者、学生が交換できるようにするためのものだ。

あとこのへんとか。英語だと本家サイト以外だとこのへんあたり。


こっちは完全に無知でしたね。自分が考えるずっと前にP2Pで学術情報を共有するソフトウェアが試験されていたとは。いや当然あるだろうなーとは思ってたけど,注意不足なり。
で,試しにちょっと使ってみたんですが……これ,まともに試用するためにはどこかの大学に申請して試用のためのアカウントの発行が必要なのですか?; インストールの途中にどの大学の認証システムを使うかの指定とかもある。こりゃ敷居が高い。

とりあえずアカウントなしでもファイルの検索はできるようですけど,よくありそうな語句を入れてもほとんど引っ掛からない(このへんは認証の問題なのか,使い方が悪いだけなのかはよくわからない)。あと単純にシステムとの相性が悪いんだと思うが,ファイルやリンク(機関リポジトリ検索の機能があって,それはURLが指定される)を押しても全文が見られない。


これはほんとにあくまで,大学内でのファイル共有のためのシステムのようですね。PDFとかあんまりない。画像ファイルはけっこうありましたが。

自分のイメージしていた学術文献のP2P配信というのは,現在のオンラインジャーナルや機関リポジトリの代わりになるようなもので,少なくとも閲覧に関してはアノニマスな利用者を考えたものなのですよね。ほとんどのファイルは誰でも見られて,一部のファイルのみ閲覧制限がかかってるとか。どうもそれとは遠い気がする。
そもそも特定の大学の学生とか情報学分野の研究者とかにユーザーを限定しているのでは,柔軟な学術交流は困難。研究のツールにはなっても,成果の発表媒体にはならない。


とりあえず,LionShareは上記のような目的では,順調に進んでるのかもしれない(アカウントとってないので中がよくわからんのですが。実際に中の人のレビュー記事が見たい)。
そもそも外部利用を想定したシステムじゃない以上,Winnyなどのように爆発的に人気になる可能性はない。もうちょい敷居が低ければ学生間ポータルみたいな使い方もできるんだろうけど(チャット機能などがある)これではなあ。
しかし,先駆例のわりに国内での言及が非常に少ないですね。少なくとも日本ではほとんど注目されてないらしい。やっぱり使えないからかなー。

でもまあ,ソース自体はオープンソースなんだから,日本版をつくって日本の大学間で使ってみる実験とかやってそうなもんだが。どこかでやってないんだろうか。


で,これを見て思うこと。
自分は匿名性は正直最小限でいいとは思っていたのだけれど,ここまで徹底して個人認証する必要まではないかなー,と。mixiやらはてなやらのIDレベルの証明でよくて,少なくともそのアカウントを一貫した人物が使ってると分かればいい。
もちろん,どこかのレベルで個人を特定できることは必要です。ただ,それをそのシステム自体に組み込むことはないし,わざわざここまで認証に力を入れなくても……。なんというか,セキュリティの確保以前に,導入障害が大きすぎる。
もっとも,このシステムの目的ならこの形でいいのかもしれません。よく似ているけれど,別物と。ただ,ここまで管理できなければ著作物の公正かつ自由な共有ができないのかと考えると,別物だからと無視はできませんね。
この手のシステムは本当に「参加しやすさ」が重要な気がする。人が集まらなければ,どんな理想的なサービスも機能しないのだから。


ということで,まとめると,

  • ソーシャルなWebサービスで論文の評価とかを達成するには,ソーシャルブックマークみたいにそれをすること自体が本人に有益なものであることが必要な気がするよ
  • そうしたサービスへの参加することの障害は小さい方がいいよ。セキュリティも大事だけど,人が集まらないんじゃそもそも意味がないよ。とりあえずたぶん,LionShareは別のことをやってるよ


って感じでしょうか。
まあ,LionShareについてはろくに試用できなかったし使用者のレビューも見つけられなかったのでろくな分析じゃありませんが。


しかし,「書いてみるメソッド」とかいって,気がついたら「それなんて人力検索?」になっている気が。いやほんとコメントありがとうございます。