同人“誌”でない同人誌

が,なんといっても,パソコンソフトという新しい表現が,同人誌界に適応しやすいメディアであったことが,語られねばならない。*1

米沢嘉博「同人パソコンソフトの世界への正体」- 『パソコン同人ソフトカタログ』(久保書店,1989.09).- p.34


この前までのコミケ本といっしょに頼んでた本。しっかり記憶からとんでて,Amazonから発送のメールが来たときは「え,なに? 何か悪いことしたっけ」とか思ってしまいました。
内容は,1989年夏当時(コミケでいうとC36の頃)の同人ソフトのサークルおよび作品のカタログに,コミケ関係者のコメントを足したもの。米沢嘉博岩田次夫三崎尚人らによる,コミケにおける同人ソフトウェアのこれまで,そしてこれからが語られています。


当時はまだWindows3.1以前。やっと98や68が登場した頃。パソコンという概念すら一部のマニアのものでしかなかった時代の,それもさらにニッチな同人ソフトについて,その当事者であるコミケットでこのような本が書かれたというのは,正直すごいことであるような気がする。*2


さすがにまだ TYPE-MOON も 07th Expantion も出ず,上海アリスの原型である ZUN Soft すら現われていない時代。*3いまのように同人ソフトがアーケードに並んだりTVアニメになったりするなんて,世間では想像以前に同人ゲームの存在自体を知らなかった時代。そんな時代でも,同人ソフトの可能性を考えていた人がいたのだなあ,というのが非常に感慨深い。

それはコピー誌にも似た,手作りの小部数体勢で勝負できるということだ。メ*4切さえ,ギリギリを設定できる。

金をかけなくても,時間と頭さえ使えばプロに対抗できる,いやプロを凌駕するものを創ることができるのだ。

(ともに前掲部分より引用)


月姫ひぐらしが,最初は不完全なバージョンをまるでコピー誌のような少部数で販売していたこと,初期のひぐらしは100円で売られていたというような話は,間違いなくここにつながるものだろう。
そしてそのように作られた作品が,いまでは真にプロを凌駕し,ある者はプロへの道を踏み出し,ある作品はプロ漫画家によるリライトというかたちで流通の海へ出た。米澤氏らがここまでのことを想像していたとは思わないが,その可能性を,当時すでに抱いていたのは間違いない。

(同人ソフトサークルの動きを)89年の時点で,一つの客観的な形でまとめておくことは,今のところそうした資料がもっとも集まっているコミケットとして,やっておくべきだと判断したからだ。


しかし,当人が批評の道で食べていこうとしていただけあって,米澤氏はいちいち後学の研究者にとって嬉しいことをしてくれている。やはり偉大ですね。*5


以上は米澤氏の文章を中心に取り上げたが,三崎尚人氏の文では同人ソフトにかぎらず,非印刷媒体の「同人誌」全体についても言及されている。
最初に現われたのはカセットで,替え歌集などの内容が多かったらしい。ただしこれはあまり普及せず。次に現われたのはビデオ。これはいわゆる自主制作ビデオの流れで,現在でも特撮系サークルをまわっているとしばしば目にすることがあるが,決して大きな流れにはなっていない。


この上で三崎氏は

そして,今,紙の上という当り前のメディア以外で同人誌の世界で勢力を持っているのは,ただ一つ同人ソフトサークルの人達といえましょう。

と結んでいる。


実際にコミケについて詳しい方には言うまでもないことだが,現在はこの状況に「同人音楽」という新たな方向性が加わっている。インディーズとはまた異なる層としての同人音楽は,現在の同人文化上で間違いなく一つの位置を占めているだろう。*6また大きな流れではないものの,同人動画をコミケで販売しているサークルも時折見られ,いくつかは有名サークルとなっている。*7

この本が出た当時は,やっと新しい流れとして同人ソフトが存在感を示した段階だったが,同人ゲームが切り開いた荒野をそれ以外の非印刷の同人サークルが拡張していってる,と考えると,非常に興味深い。


このへんから考えて,出版物以外の見本誌の割合は,最近になるにつれて増えている,ということが言えそうかも。


[余談]


パラパラこの本を読んでいくと,こんな記述を発見。

準備会が見本誌として集めたものを具体的に見せるリフ*8ト傑作選


なるほど。見本誌はこういうところで使われているわけですね。

*1:長文引用への批判を見かけたので,実験的に最小限引用を心がけてみる。

*2:こういう本が,Googleで検索してもネット書店の取り扱い情報以外に出てこないというのも,まだまだGoogleの目的が途上であることを示してるような気がするなー。

*3:現在の文脈でも理解できる有名どころだと,たつねこさんの炬燵屋ぐらいでしょうか

*4:引用注:ママ。

*5:当人としては,本当は漫画批評家として評価されたかったんでしょうが;

*6:まあ,SHファンなぐらいでこっちはそれほど詳しくないんですが。

*7:AQUA-STYLEとか。マリグラはつぶされちゃいましたが

*8:引用注:ママ